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宮之浦岳(1935m)
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都道府県
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鹿児島 |
日程
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1995.3.17〜20 |
天気
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交通
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15〜17日: | 東京(大垣夜行)大垣(JR)神戸(JR)博多(夜行特急つばめ)西鹿児島(徒歩)鹿児島(フェリー)宮之浦(タクシー) | 20日: | 栗生(バス)平内 | 21日:
| 平内(バス)宮之浦(フェリー)鹿児島(タクシー)西鹿児島(JR)指宿
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コース
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17日: | 白谷雲水峡→白谷山荘 | 18日: | 白谷山荘(6:50)→ウィルソン株→縄文杉→新高塚小屋(14:40) |
19日:
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新高塚小屋(6:50)→宮之浦岳→永田岳直下→鹿之沢小屋
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20日:
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鹿之沢小屋(6:45)→大石展望台→花山歩道入口→栗生(16:45)
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気温
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距離
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友人と二人で屋久島、南九州方面を巡る。
3月15日夜の大垣夜行で出発する。
阪神大震災の為、JR住吉〜灘はまだ不通となっており、代替バスで移動する。
大地震の爪痕が、まだあちこちに残っていた。
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| 16日夜は、やはり夜行電車(博多発の特急つばめ)に泊まり、約30時間の長旅で西鹿児島へ。
さらにフェリーに乗り換え、17日昼過ぎについに屋久島へ上陸した。 | 暗雲垂れこめる屋久島の山 |
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17日(白谷雲水峡→白谷山荘)
宮之浦「天和」で昼食のあと、タクシーに乗って登山口の白谷雲水峡へ向かう。
ここから土砂降りの中、白谷山荘まで歩く。
着いたのは夕方近かったと思う。山荘には結構人がいた。
山岳部パーティーが、今日の行動の報告をしていた。
その報告によると、縄文杉のほうは、かなり積雪があるようである。
不安を感じながら、眠りにつく。
18日(白谷山荘→縄文杉→新高塚小屋)
起きてみると曇りで、雨は降っていない。
出発して間もなく、辻峠付近から、宮之浦岳と思われる山が見える。
まだ雪がべったりと付いている。
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この日は順調な行動であった。
ウィルソン株の巨大さに驚いたせいではないが、縄文杉はいつの間にか通りすぎてしまい、新高塚小屋から戻った。
縄文杉のあたりから積雪がみられ、深い所では1mほどもあった。
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縄文杉
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| 新高塚小屋では、かまくらを作った。
初めて見るかまくらが、こんな南の島でなんて、とても信じられない気分だった。
小屋はとてもきれいで、快適に過ごせた。 |
新高塚小屋でのかまくら
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19日(新高塚小屋→宮之浦岳→鹿之沢小屋)
この日ももまずまずの天気。
しかし積雪が多く、また登山道が凍結しているため苦労する。
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焼野の手前からは、奥に大きな宮之浦岳が見えた。
この先は、雪渓の急登となる。 |
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宮之浦岳が見えた!
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このまま宮之浦岳の山頂まで登る。
山頂でカメラを岩に落としてしまい、使用不能になったため、デポしていた友人のカメラを取りに焼野の近くまで戻った。
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| 宮之浦岳からは天候が急激に悪化し、風と霰が強くなる。
ところどころで道を外しながらも永田岳に向かうが、山頂直下で登山道が完全に凍結していたため、永田岳には登れなかった。 |
焼野で。足元は凍結している。 |
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永田岳直下からの下りは、やはり道が凍っていて、アイゼンも持っていない。
寒さと滑落への恐怖で死ぬかと思った。
また、登山道が凍結していて危険なため、笹の中を歩いたりもした。
しかも道に迷い遭難寸前だった。
それでもなんとか鹿之沢小屋にたどり着く。
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20日(鹿之沢小屋→栗生)
縦走の最終日、栗生への下山。
前夜の鹿之沢小屋は大変寒く、凍死する思いだった。朝、履こうとした靴が完全に凍っていた。
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寒かった鹿之沢小屋(朝)
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鹿之沢小屋からの下りは積雪のためすぐに道に迷い、方向を全く失ったが、尾根の上に向かって歩くと偶然、道が見つかった。
同宿だった九工大のパーティーと途中まで一緒に行動し、なんとか下山。ほっとする。
山の怖さを初めて知った。
苦労して下りると、ふもとはとても暑く、屋久島の標高差を実感する。
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| 車道を更に1時間ばかり歩き、栗生からバスに乗った。 | 屋久島は広い(栗生バス停で) |
| この日は平内海中温泉の民宿に宿泊。運良く海中温泉にも入浴できた。
ところで、この95年3月20日は地下鉄サリン事件が起こった日である(民宿のテレビで知る)。
民宿は料理が良かった。客は我々と1カップルの4人だけだった。
翌日は乗船前に、17日にも行った宮之浦「天和」で昼食。感じのいい店だった。
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